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2014.09.14

勝利と成功の法則 その3(完)

こんにちは。スマイラです。
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昨日は弁理士会の研修と、そのあとちょっとした打合せなどがあり、ブログをお休みしてしまいました。

さて、続きです。

前回は、成功とか失敗といったところで、それは意識的な選択よりも、単なる「偶然」や「めぐり合わせ」の方が、要素として大きいのではないか、というところまで書きました。

もしこの想定どおり「成功・不成功」という結果が、努力や精進よりも、偶然や幸運に左右されるものならば、ピフ先生の「モノポリー実験」と現実社会はそれほど変わらないということになります。

で、ここから先はもう推測や直観でしかないんですが、「モノポリー実験」ほどではないにしても、つまり、あらかじめ勝つ側が完全に仕組まれているとは言えないまでも、通常私たちが思ったり感じたりしているよりは「モノポリー実験」に相当近いのではないか、と私は思っています。

以前、このブログのこの記事にも書いた、東大OB同士の対談のように、東大に行ける行けないというのも、努力や資質は当然のこととしても、その前段階として、努力をできる環境とか、資質を信じられる環境というのがなければ、達成し得なず、かつ、その環境は自分では選択できないというのが、それをよく表しています。

私も「成功」なんてとてもいえませんが、自分の試験合格を振り返ってみても、努力と幸運とどっちが大きかったかと聞かれれば「比較するまでもなく幸運」「幸運がほぼ100%」と答えます。

「努力」は、「幸運」が自分の家の前を通りかかったときに声を掛けて、中でお茶の一杯でも飲んでいってもらうためにお湯を沸かして待っているほどの準備という感じでしょうか?

そうすると、この世が「モノポリー実験」的な要素をかなり含むものだとしたら、そこで得々と成功体験を語るなんてアホじゃないかとなってしまうのかもしれませんが、私はそう斜に構えずに、そこも一歩とどまって考えたいと思っています。

やはり、どのような時代であれ、どのような環境であれ、どのような幸運であれ、ひとたび事を為した人の言は傾聴に値するものだと思うからです。

その一方で、私たちは生まれながらに与えられていたものと、後で自力で手に入れたものとでは、どうしても後者の価値を高く見積もる傾向にあります。

それは他人に対しても同じで、他人の「生まれながらに与えられた条件」と「自助努力で手に入れたもの」を見るときにも、どうしても後者にばかり目を向けがちで、前者をあまり考慮しない傾向があります。

しかし「自力で手に入れたくてもそこまでの条件さえ整っていない人だってたくさんいるんだよ」ということにもきちんと目を向けていく契機に、ピフ先生の「モノポリー実験」はなっているように思いました。



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