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2014.07.14

謝る理由は何もない! その3

こんにちは。スマイラです。

今日の東京も「これが今年の暑さのピークか?」と思うほどの炎暑でした。大雨も困りますけど、少し降って地面の熱と湿度を下げてくれないことには、こっちの熱が上がってしまいそうです。皆さまもくれぐれも熱中症等にはお気をつけ下さい。

さて、昨日の続きです。

保育園が騒音源になるので近くに作らないでほしいという運動が起こっているらしい、ということまで書きました。

それぞれの人にそれぞれの事情があることでしょうから、総論的にこのこと自体の是非を論じるのは大変難しいと思うのですが、私はあえて「ここは未来への投資として負担しようじゃないですか」といいたいと思います。

私は20代の頃、かなり大きな救急病院の近くに住んでいたことがあります。

そこに引っ越すと決めたときには、まったく予想もしていなかったのですが、あの規模の救急病院になると、深夜でもひっきりなしに救急患者が救急車で運ばれてきます。

当然救急車ですから、休日の朝であろうと、平日の深夜であろうと、サイレンを大音量で鳴らして病院に駆け込むわけです。

そこで「サイレンがうるさいから病院は人里離れた山の中にでも行ってくれないか」といえば、救われたかもしれない命も救われないという悲劇が怒ることは必定です。

救急車のサイレンで夜中に起こされる人は、救急患者ではありません。しかし、いつかは自分や自分の家族も運ばれる立場になるかも知れません。

それに、それ以外の人たちだって、救急病院ではないけれども、何らかの社会的コストの一分を負担しているというコンセンサスがあるからこそ、社会は成立しているのだと思います。

保育園に関していえば、今苦情をぶつけていたり、保育園建設反対を強硬に主張している人たちであっても、もうすっかり忘れてしまっているのかもしれませんが、子どものころには、今や彼ら彼女らが毛嫌いする騒音の発生源であったことは否定しても否定しきれない事実です。

不幸にして中年や高齢者にならない人はあっても、赤ちゃんや幼児じゃなかった大人は一人もいませんからね。

そして、その人たちが今大人として存在しているということは、「騒音源」であった自分たちを暖かく見守り、成長を待ち望んでくれている人々と社会があったからこそです。

自分たちのときに社会に負担してきてもらったコストを、今度は自分が負担できるようになったのだからその一分でも負担しよう、というようには考えられないものでしょうか?

もうちょっと書きたいことがあるので、この続きは明日書きます。



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