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2014.07.13

謝る理由は何もない! その2

こんにちは。スマイラです。

「続きは明日」と書いておきながら、ちょっとバタバタしていて日が空いてしまいましたが、続きを書きます。

私もちょっと前まで子育てをしていた組なので(いえ、子育て自体はまだ継続中なのですが、3人とも幼児期は終わったので)、このお母さんの恐縮する気持ちもすごくよく分かります。

私自身も子どもを連れて出歩いていた時分は、電車に乗るとき、バスに乗るとき、道を歩くとき、ベビーカーで横断歩道を渡るとき、後ろに早足の大人の圧力を感じるとき。口には出しませんが、いつも心の中では「すみません」と謝っていました。

でも、今振り返ってみれば、そりゃ多少の迷惑はかけていたかもしれませんが、迷惑をかけているのは子育てをしている人たちだけではなくて、もっと大迷惑をかけている人たちもいるし、別に悪いことをしていたわけでもないのだから、自分だけ申し訳なく思う必要なんて全然なかったのだと思います。

でもなぜか、この国で子育てをしている多くの人が、誰にともなく申し訳なく思ってしまう。悪いことをしているわけでもないのに謝罪をさせられるような気持ちになってしまう。

なぜなんでしょう?

私が思うに、それは余りにも長きに渡り、余りにも多くの人が、たとえば効率性、たとえば経済性、たとえば自分だけの快適性を優先するあまりに、社会を共に構成している幼き存在や拙き存在を邪魔者扱いし、自分たちから遠ざけ、あるいは見ないようにし、あるいは排除しようとしてきたこと、つまり、子育てする側から見ると自分たちは遠ざけられ、無視され、排除される存在であると感じ続けさせられてきたことが最大の原因だと思っています。

ちょっと話しが逸れますが、「効率『性』」「経済『性』」「快適『性』」と表現したのは、このような行動とその原理は、必ずしも社会や人間の「効率」や「経済」や「快適」に直接に貢献しているはずがないからです。なぜなら、社会も人間も、このような幼き者や拙き者やそれを産み育む者も包含したところに成立し存在するものですから、ここを無視あるいは敵視した効率性等は少なくとも論理的にこれらの存在には貢献しえないからです。

さて、こういった排除の構図のひとつの象徴は、「騒音がうるさいから保育園を近くに作るな」という反対運動に如実に顕れているように思われます。

たしかに経験上、幼い子どもたちのパワーたるや「無限か?」と思わせるほど溢れ返っていますから、近くに保育園ができたら、その送り迎え等も含めて相応の騒音が発生することは十分予想されます。

長くなったので、この続きはまた明日(笑)書きます。



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