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2014.02.09

政治と経済 その3

こんにちは。スマイラです。

府中では昨日の雪がまだかなり残っています。こんな感じです。
IMAG1431_convert_20140209225202.jpg
さて、昨日の続きです。

経済の原理で政治をするとして、もうひとつ危惧する点は、本来多様でなければならないはずの価値観が、無理に統一されてしまう虞がある、ということです。

会社に限らず、組織というのは一定の範囲で構成員の価値観を統一する必要があるものです。

ですから、会社は、会議や朝礼や社歌や社訓や社是などで、構成員の価値観の統一を図っています。

ただ、組織は全生活をかけて所属しなければいけないものではありません。たとえば会社なら会社での生活をしている間だけ価値観を合わせておけば(合わせたフリをしていれば)それで済みます。

けれども、政治がかかわってくる普通の生活はそうはいきません。特に現代においては、人々の価値観も生活様式もはあまりにも多様です。

家族構成も、その家族の年齢構成もまちまちですし、たとえば私のように東京に住んでいる者と、地方に住んでいる方とは考え方がまったく異なるでしょう。

サービス業に従事されている方と、製造業に従事されている方、正社員と派遣労働など、ありとあらゆる生活様式があり、それと関係して、あるいは無関係に、個々人の価値観が形成されます。

言うまでもないことですが、政治はこれらの価値観を可能なかぎり(理想的には「ひとつも」)切り捨てることなく拾い上げ、何らかの政策に反映させていくことが期待されます(もちろんこれは不可能事ですが)。

しかし、企業経営的に価値観を統一してしまっては、その価値観に合致しない人々は、恐らくは十分な検討も根拠もないまま「無駄」「非効率」「非常識」「反社会的」「非生産的」などの言葉の下に切り捨てられていくことでしょう。

私の見るところ、まず初めに切り捨てられるのは(というか、切り捨てられているのは)、しばらくは票にならず、かつ、ほとんど文句が出そうにない「子ども」と「教育」ですね。

「非効率」や「非生産」などの言葉が跋扈した後に残るのは、強い者だけが存在を許され、果てしなく得をする世界です。

しかし、今日強い者が明日も10年後も強いわけではありません。どんなに強い人も、いつかは弱い存在になる日が来るものです。

資本主義の原理や、企業経営の論理を、生活を規定する政治や、個々人や家族の日々の生活にまで透徹させようとすれば、必ずどこかにひずみがでます。

私たちは、知らず知らずのうちに資本主義の原理に慣れすぎてしまっているので、自分自身がそういったひずみをもたらしていないか、あるいは、そういったものに寛容になりすぎていないかを注意深く見て、感じて、政治なり、社会なりを考えていく必要があるように思います。



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