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2013.03.17

昔のことは美しく・・その2

こんにちは。スマイラです。

昨日に続いて、この本について書きたいと思います。

幕末入門幕末入門
(2003/11)
中村 彰彦

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昨日「現代の政治状況や歴史の中での位置づけのようなものを知りたい人にも強くお勧めします」と書いたのですが、幕末・明治維新から現代に繋がっていそうなことについて書かれているところをご紹介します。

明治政府の兵部省の大輔(たいふ)として徴兵制度を発足させようとしたのは、長州藩の大村益次郎(おおむらますじろう)でしたが、大村は明治2年11月に46歳で死亡します。

そこで、兵部少輔だった、これも長州人の山県有朋(やまがたありとも)がその遺志を受け継ぎ、日清戦争、日露戦争で名を上げます。

そんな背景から、陸軍には長州閥ができあがっていきます。

一方の海軍ですが、早くからイギリス海軍と交流したことがきっかけで、薩摩藩には海軍軍人が多く育ちます。

日清戦争の連合艦隊の初代司令長官、伊東祐亨(いとうゆうこう)、日露戦争の英雄、東郷平八郎などです。

こんな背景から、明治時代から昭和20年代まで「薩の海軍、長の陸軍」という言葉がよく使われていたのだそうです。

そして、こう書かれています。

「太平洋戦争中、陸軍と海軍がなにかと足並のそろわなかったことは、戦史研究者たちがひとしく指摘するところです。明治政府の成立にもっとも寄与した薩長両藩の子孫たちが軍閥闘争をはじめ、ついには昭和20年夏の敗戦をもたらしたと思うと、歴史の有為転変の諸相がまた別の角度から浮かびあがってくるように感じられてなりません。」

昨年8月15日にNHKで放映していた番組で、なぜ終戦を早く決断できなかったかということを議論していましたが、そのときもたしか、陸軍と海軍の連絡がうまくいっていなかったことを指摘していたような記憶があります。

今の私たちの生活も、国の仕組みを定めている憲法も、太平洋戦争の敗戦から始まっています。

そう考えると、今の私たちは、幕末・維新の歴史の影響をほとんど「因果」の範囲内で受けているといっていいのではないでしょうか?



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