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2013.01.23

擁護派への疑問 その3

こんにちは。スマイラです。

今日は、昨日、一昨日に引き続いて、擁護派へのみっつ目の疑問です。

これが最大の問題ではないかと私は思っているのですが「擁護派の方々は、体罰も含めて暴力というものに対して無神経、あるいは必要以上に寛容になっていないか?」ということです。

さらにいえば「現在、自身が他人に『必要なことだ』という言い訳の下に、体罰や暴力や暴言を加えていないか?」ということも問い質してほしいと思っています。

これは、当の顧問にも当てはまると思いますが、暴力というのは劇薬のような一面がありますから(それゆえ、それに頼ってしまう顧問のような人が出てくるわけですが)、その感覚が麻痺しやすいものではないかと思っています。

恐らく、当の顧問も、教職に就き、初めて生徒を叩いたときには、何かしらの違和感なり、掌にジーンと残る後味の悪さなり、後ろめたさなりを感じたのではないかと思います。

また、擁護派のOBも、高校に入って、部活で初めて先輩が叩かれるのを見たときや、日常生活では聞かないような暴言を聞いたときは、びっくりしたでしょうし、何かしらの後味の悪さを感じたのではないか、と推測します。

けれども、その風景や音声が繰り返されて、日常のものになるにつれ、感覚が麻痺し、体罰や暴力に寛容になってしまったのではないでしょうか?

する側にもされる側にも、暴力は感覚を麻痺させる=暴力に寛容にさせる性質があると思います。

よく「虐待は連鎖する」と言われます。

この意見には、賛否両論あるようですが、暴力に囲まれて育った人が、他の手段を採る前に暴力という手段を採ってしまいやすいのは、そういったことを嫌悪する感覚が麻痺しているからではないかと思います。

その論理でいけば、体罰もやはり連鎖する可能性が非常に高いわけで、これまで書いてきた「擁護派」の方々が次の加害者にならないためには、顧問の人格や好き嫌いはさておいても「その行為は絶対に許されないこと」との認識は不可欠です。

この顧問を擁護するのも、自分の意見を持つのも言うのもまったくの自由です。

けれども、擁護派の方々に、できることなら自分の身に当てはめて、じっくり考えてもらいたいことがあります。

あなたも(もちろん私も)、亡くなられた子も、この顧問も、顧問の子供(たち?)も、すべての一人の人間には二人の親がいて、四人の祖父母がいて、人によっては兄弟姉妹がいて、親戚がいて、知り合った人が何百人、何千人といます。

今回のような突然の死は、この人たちすべてを、一瞬のうちに悲しみの暗闇と、後悔の谷底に突き落とします。

それが「命の重さ」だと思います。

特に、ご両親の悲しみは計り知れません。

私がその立場であったとしても、自分の死ぬその瞬間まで「あの時、ああ言っていれば・・」「この時にこうしていれば・・」と、還らぬ子を思い、尽きぬ後悔を幾たびも繰り返すと思います。

その悲しみと後悔を前にして成り立ちうる「加害者の擁護」とはどのような姿をしたものか?

じっくり考える必要があると思います。

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