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2014.07.25

タンプレ

こんにちは。スマイラです。
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梅雨も明けたので・・・。

私は8月が誕生日なのですが、次男が「誕生プレゼントを上げるから欲しいもの決めて」と言ってきました。

子どもは3人いるものの、最近ではこんなありがたいことを言ってくれるのは、年齢的に次男ぐらいしかいないので、嬉しいし、父親冥利に尽きます。上の二人は自分の欲しいものを買うお金を捻出するのに精一杯なようで・・(笑)。

たしか、次男からは去年はホチキスを外すためのリムーバーとiShot(メモ帳)のセットをもらったような記憶があります。

一緒に買いに行った妻の話によると、お店の人にリムーバーのある場所を聞いて、自分でレジに持って行って買ってきたのだそうです。言葉遣いもいつの間にやらしっかりしていたと、感心していました。

今年の予算を聞くと1000円とのことです。

1000円で欲しいものを探すのは思っているより難しいことです。

というのも、普通1000円ぐらいで欲しいものがあれば、さほど悩まず買ってしまうからです。買わないとすれば、それほど欲しいものとか、必要なものじゃないということですよね、大人だったら。

でも、私の1000円と次男の1000円では、客観的・社会的価値は同じであっても、たぶん円・ドルぐらい主観的価値が違うはずなので、その気持ちを十分汲んで上げなければいけません。

先日も次男から「誕生プレゼント決まった?」と聞かれました。

「いや、なかなか決められないんだよ」というと、次男が「今日が締め切りだよ!」と言います(笑)。

「何でまだ1ヶ月近くあるのに、もう締め切りなんだ?」と聞くと「いや、おれも夏休みはいろいろと忙しくて、プレゼントを買いに行ける日がそんなにないんだよ」と、まるで売れっ子芸能人のようなことを言ってくるではありませんか(笑)!

「じゃあ、できるだけ早く決めるよ」と言っておきましたが、なかなか決め切れません。というか、放っておくと自分の誕生プレゼントのことなど忘れてしまっている始末です(笑)。

「気持ちだけでいいよ」というのでは、次男の気がすまないでしょうし、難しいもんです。

ところで、娘が使っていたのを聞いて初めて知ったのですが、今の若い子って「誕生プレゼント」のことを「タンプレ」って言うんですね?うちの子の地域だけかな?

「たかだか10文字足らずの言葉を省略するほど忙しくはないだろうに・・」と思いますが、友だちとの会話なんかで「タンプレ」と言わずに「誕生プレゼント」なんて言ったら、「何このヒト?」って感じで、怪訝な顔をされたり、下手すると敬遠されたりするんでしょうね。日本らしい光景です・・。

小4の次男はまだ「誕生プレゼント」と言っていますが、そのうち「タンプレ」なんて言うようになって、その頃には父親のプレゼントのことなんて毫も考えなくなっているのでしょう。

そうして人は成長していくのです・・(笑)。



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Posted at 14:12 | 日常 | COM(1) | TB(0) |
2014.07.24

新しい革袋 その2

こんにちは。スマイラです。

昨日の続きで、この本を読んで思ったことです。
2000万個売れる雑貨のつくり方2000万個売れる雑貨のつくり方
(2012/05/31)
日経デザイン、高橋美礼 他

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この本には「アニマルラバーバンド」以外にも、アッシュコンセプトがデザインした製品がたくさん載っています。

できあがったものを見てものを言うのは、答えを見てから問題を解き始めるようなもので、案外簡単に思いつくような気がするものです。

レースが終わった後に考えれば「勝るのはこの馬しかなかったよなー・・」と思うのと同じで、いいデザインの製品を見て「おれも前からこういう形がいいと思ってたんだよね」というのは誰にでもできることです。

しかし実際は、世間の常識として「これはこういう形のもの」という既成概念ができあがっている中で新しいデザインを考え出す、というのは、想像しているような簡単なものじゃあないです。

たとえば「斬新な形のビール瓶を」と頼まれて、いろいろな形状を考えることはできますが、人を唸らせるようなデザインを考えるのは並大抵ではありません。

この本に載っている製品のひとつに「スプラッシュ」という傘立てがありますが、この傘立て、高さは10センチもありません。

「傘よりはるかに短い傘立てに、どうやって長い傘を立てるんだろう」と思いませんか?

実物を見てしまえば「なあんだ、そういうことか」と思うのですが、「傘立ては傘とほぼ同じぐらいの高さがあるもの」という常識でモノを見ていたら、こういう発想は出てこないと思います。

デザインの力という意味では、別の本でもこんな事例を見ました。

効果がありそうなので磁気ネックレスを使いたかったのだけど、どれも金ピカで使う気が起きない。そこで、その女性は人造パールに磁石を入れることを思いつき、製品化したそうです。

するとそれが大ヒットしたということでした。

それまで無表情だった人が笑顔になっただけで新しい魅力が見えてくることがあるように、中身や効果が全く同じでも、外見を変えることで、今まで欲しがってなかった人が欲しがるようになったり、使っている人が日々を楽しく過ごせるようになる、というのは「デザインの力」と言っていいと思いますし、これから日本が作る製品では、この力を十分に発揮し、かつ、世界に知らしめてやらなければいけません。

ちょっと使い方というか、意味が違うのかもしれませんが「新しい酒は新しい革袋に」というように、技術一辺倒で来た日本も、そろそろ「新しいニッポン」として「新しい革袋」を考えるのにたっぷりの資源=ヒト・モノ・カネ・情報を使うべき時に来ているのではないかと思っています。



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2014.07.23

新しい革袋 その1

こんにちは。スマイラです。

皆さんは「アッシュ・コンセプト」という会社をご存知でしょうか?

「アニマルラバーバンド」という、動物の輪郭をした輪ゴムをデザインした会社です。

この輪ゴムの意匠権を担保に融資を受けたことで、知財の世界ではわりと有名で、たしか特許庁の知財活用を促すパンフレットにも載っていたと思いますし、私も自分の知財のセミナーのときには何度かお話させてもらっています。

そんなことが頭のどこかにあったのか、図書館で本を見ているときにこの本が偶然目に入り、借りてきて読んでみました。
2000万個売れる雑貨のつくり方2000万個売れる雑貨のつくり方
(2012/05/31)
日経デザイン、高橋美礼 他

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タイトルになっている「2000万個売れ」た雑貨が「アニマルラバーバンド」(表紙に載っている色の着いた動物型の輪ゴム)なんだそうです。

この「アニマルラバーバンド」を最初に仕入れてくれた(アッシュ側から言うと買い上げてくれた)のは、かの有名な「MoMA(ニューヨーク近代美術館)」のデザインストアで、それによりメディアで取り上げられる機会も増えたんだそうです。

ただ、この製品の意匠権を取れたのが日本だけだったらしく、模倣品が世界中で出回ってしまっているとのことでした。

この製品に限りませんが、売れるか売れないかが判然としないうちに、お金を使って出願だけはしておかなければならないというのが、ビジネスにおける知財のジレンマなんですよねー・・。

ちょっと専門的な話で恐縮ですが、推測するに、恐らく外国には出願しなかった(あるいは期間内に出願できなかった)のだろうと思います。日本の意匠の審査は、諸外国に比べると厳しいと言われていることから、日本で意匠権を取得できたのなら、所定の手続を所定の期間内にすれば、まず外国でも権利取得できたと思われます。

ところで「MoMA」といえば、ルイジ・コラーニやピニンファリーナといった、錚々たるデザイナーの作品を所蔵しているので有名ですが(一度行ってみたい・・)、そこのストアで採用されるなんてすごいことですよねー。

日本でも、こうしたデザイン性の高い製品が出てきたことを、一弁理士としても、一消費者としても、とても嬉しく思っています。

明日、この続きを書こうと思います。



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2014.07.22

誹謗したがり

こんにちは。スマイラです。
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先日、ネットで何かを検索していた折に、興味深いQ&Aを見つけました。いや、まあ、下らない話しなんですが・・(笑)。

質問の内容はこんな感じです。
「朝、早目に会社に向かい、出社前にモーニングを食べ、コーヒーを飲みながら、一日の仕事の予定や計画を立てるのが好きです。オススメのモーニングのお店はありませんか?」

そんな質問だったので、いろんな地域のオススメのお店が挙がっていくのかなと思って、興味深々で読み進めていったら、豈図らんや・・・。

「朝ごはんは家でご飯と焼き魚と納豆と味噌汁です」
「岐阜なのでどこで頼んでも豪華なモーニングが出てきます(←ホントですか?)」
というちょっと外れた話から始まって、挙げ句の果てには
「仕事前にモーニングなんて贅沢」
「ずいぶん優雅な生活なんですね」
という嫌味になっていってしまいました。

直球勝負の回答としては「コメダ珈琲がオススメ」の意見が多いような気がしましたが、それにつけても、的外れというか、質問者を揶揄する回答が多いのには驚きました。

別にオススメのモーニングがないのなら書かなければいいだけなのに、あえて揶揄したり、誹謗したり、妬みや嫉みの言葉を書き込みたいがために回答している人たちがこんなに多いなんて・・・。

ただ人を嫌な気分にさせたいだけの「誹謗したがり」って、日本中ではこんなに多いんだ!と驚いてしまいました。

「日本人は劣化している」という話しを見たり聞いたりします。

その都度、「じゃあ何人が劣化していないのか?」「どこの国の人は立派なのか?」と思っていましたが、この回答群を見るに及び、私も「劣化に一票!」と思ってしまいました(笑)。

贅沢って言ったって、モーニングなんてせいぜい夜の居酒屋の一杯目の「とりあえずビール」ぐらいの値段でしょう?

それで「贅沢」呼ばわりされるのでは、質問者もキツイですよねー(笑)。

もしかしたら、お金じゃなくて時間のことを言っているのかもしれませんが、それこそ個々のライフスタイルで、口出し無用です。「お前、早起きしすぎだ!」とか、大きなお世話ですよね(笑)。

誰にも迷惑をかけていない(というか、むしろ健康的で余裕があって、多くの人に勧められると思われるような)ライフスタイルにまで口出しするんだとしたら、まさに「劣化」の極みかと思います。

ちなみに私も朝の待ち合わせのときなどは、遅れるのは嫌なので、30分から1時間ぐらい早く着くようにしてコーヒーを飲んだり、タイミングが合えばモーニングサービスを食べることもしばしばです。

そんなに余裕がある生活ではないですけど(笑)、タバコやお酒に比べれば全然安いですし、打合せの直前準備とかもできるんで、むしろいい効果の方が大きいと思っています。



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2014.07.21

もう少しだけ・・

こんにちは。スマイラです。

今日もお休みなので、他愛もない話を・・。

最近、特に外出したときに、気になっていることがあります。

それは、人のしゃべる声があまりにも大きすぎるのではないか、ということです。

先日もたまたまファーストフード店に入ったところ、父親と2~3歳ぐらいのお嬢さんの二人連れが入ってきました。

この父親が終始、店中に聞こえるような大きな声でしゃべっているので、初めはこのお嬢さんかお父さんのどちらかの耳が不自由なのかと思っていました。

しかし、しばらく見ていると、普通の音量でしゃべっている時間もありますから、そういう理由ではなさそうです。

困ってしまうのは、その大きな声で話す内容が、具体的には書きませんが、私の美意識からすると、とても人に聞かせるようなものではないというか、そもそも外で話さなくてもいいのではないか、というようなものなのです。

世の中の人の聴力が全体的に低下しているのか、それとも、自分の話を聞かせたいあまりに大声になってしまうのか、驚くほど大きな声で話す「音量調節に少々難のある人」が著しく増えているように思えます。

夜の電車の酔っ払いではありませんが、率直に言って、大して聞きたくもない話を大音量で聞かせられるのは、少なくとも私にとっては「拷問」は言いすぎですが、「苦行」程度には辛いことです。

以前の保育園のブログで書いたように、子供が少々大きな声で話すのは理解できますが、せめて高校生を過ぎたぐらいになったら、その大きな声で周りの人は滝に打たれる程度の苦行をしていると理解してくれると助かります。

世の中には自分の話に何も興味がない人や、できることならそういう話は聞きたくないと思っている人もいる、ということをちょっとだけ頭の片隅に置いて音量調節をしてくれると、本当にありがたいですねー。



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2014.07.20

二種類の大人

こんにちは。スマイラです。
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今日はお休みなので軽めのネタで行こうと思います。ま、いつも大して堅いネタを書いているわけでもありませんが(笑)。

昨日のプロ野球オールスターで、我が日本ハムの大谷翔平投手が、非公式な記録ながらプロ最速タイの162キロを出しました!

大谷投手は多くの人たちの期待を理解し「最初から球速を意識して投げていた」と降板後語っていましたが、こういうオールスターの場で弱冠20歳の彼が、多くのファンの期待を意識し、かつ、それにきっちりと応えられるというのは、まさにスターになる星の下に生まれてきたということなんでしょう。

今年の大谷投手(というか、二刀流にチャレンジしているので「選手」と呼ぶべきなのかもしれませんが)の活躍は、本当に目覚しいです。

「プロで二刀流なんて無理」と言っていた評論家やOB(この二つがほぼイコールであるのもどうかと思っていますが、それは別の話)の手垢にまみれた既成概念を、その若い力でひっくり返していってほしいです。

ところで、今日の新聞には大谷投手と対戦したセリーグのバッターのインタビューが載っていたのですが、阪神のマートン選手の話にはちょっとほろっときてしまいました。

マートン選手はこんな風に言っています。
「彼は若いですし、彼がもし将来大リーグにいけば、子供を連れて『対戦したんだよ』と言えると思う」。

大谷投手は、日本ハムに入る前からメジャー志向でしたから、今の成績を順調に伸ばしていけば、先輩のダルビッシュや田中のようにきっと数年のうちにメジャーで大活躍することでしょう。

そのとき、こんなマートン選手の「ヴィジュアライズした」ともいえる言葉は、大谷投手にとって大きな励み、エールになるのではないでしょうか?

私は何より、日本人の評論家やOBの多くが、「二刀流なんて・・・」と言っている中で、一外国人であるマートン選手がこんな風に一人の日本人の若者を励まし、後押ししてくれたことに、嬉しい心持ちがしたものでした。

そして、ある程度歳を重ねてきた自分も、若い世代に「そんなの無理だよ!」「難しいよ!」というのではなく、「きっとできるよ!」「やってみようよ!」「できる方法を一緒に考えようよ!」と言える人間にならなきゃいかんな、と思ったのでした。



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2014.07.19

自分だけでは

こんにちは。スマイラです。

この本を読みました。
日本が世界一「貧しい」国である件について日本が世界一「貧しい」国である件について
(2013/03/27)
谷本真由美(@May_Roma)

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この著者の本については以前もレビューを書きました。

全体としては、著者が言わんとしていることはとてもよく分かるし、多くの日本人でも「斯くあれぞかし」と思っていることもあるのでしょうが、それを現実にブレイクダウンしようとすると、できることの少なさに愕然としてしまう、というところが問題なんだろうと思います。

ただ、冒頭に書かれていた著者の以下のツイートの考え方には私は大賛成です。
「日本の労働環境を変えて自分も幸せになりたいなら、居酒屋店員を虐めたり、ピザ配達人が五分遅れたことをなじったり、駅員を殴ったり、カスタマーセンターに大したこと(「対したこと」と書かれていますが、明らかな誤字なので直しました。引用者)ではないのに文句を言ったり、払ったお金の何倍もに匹敵するサービスを無理強いするのを、止めて(「辞めて」と書かれていますが誤字なので直しました。引用者)下さい。」

世界は全部つながっていますから、人に何かしらを要求するということは、そのまま自分も他人から何かしらの要求をされるということを意味します。人に価格以上のサービスや商品の品質を求めれば、自分も安値のままでそれ以上の商品やサービスを求められます。人に苦渋を求めれば、自分にも苦渋を求められます。

これは「因果」とかいう哲学的・宗教的な話ではなくて、経済の原則として、ということです。

最近、ガソリン代が高くなっているのが話題になっています。

これは選挙のときに「経済を良くしてほしい、給料を上げてほしい」と望んだのですからやむをえないことですよね。

景気回復を望めば、ガソリン代(に限らず、他のものの値段も)上がるのは当たり前のことです。その上がった分の一部が給料になって返ってくるんですから。

「経済を良くしろ!」という要求は、「物価を上げろ!」という要求とほぼイコールと考えていいのではないでしょうか?

少なくとも、自分の給料は上げてほしい、でもガソリン代は下げてほしい、なんて、身勝手な要求は絶対に(これはホントのホントに絶対に)通りませんよ。

だって、そんなことしたらガソリンスタンドや石油会社で働いている人たちの給料は上がらないままじゃないですか?

これは日本人に限ったことではないのかもしれませんが「おれの給料は上げろ、でも物価はどんどん下がれ」なんて虫のいいことを望んでいるような声を聞くことがしばしばあります。

でも、そんなこと絶対にないです。

物価が下がれば、多くの人の働いている会社の製品やサービスの値段も下がり、その下がった分は確実に自分の給料の下落分として跳ね返ってくるからです。

それを日本ではもう20年近くやってきたわけですから十分に実証済みですよね。



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2014.07.18

トンデモ発明?

こんにちは。スマイラです。

この本を読みました。
馬鹿で間抜けな発明品たち馬鹿で間抜けな発明品たち
(2004/04/20)
テッド・ヴァンクリーヴ

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こういう本を読むと、タイトルに反し「案外バカにならないもんだなあ」と思わせられます。

この本の中に「指サック式歯ブラシ」というのがあります。

著者はこれを「トンデモ発明」のようにいろいろと茶化して書いているのですが、私は先日これとほぼ同じ商品が売られているのを、とあるホームセンターで見ました。

時系列でいうと、先にホームセンターでこの商品を見た後に、この本でこんな発明があるということを知ったのでした。

見たぐらいならまだいいのですが、そのとき私は妻と一緒に店内を見ていたのですけど、恥を忍んで言うと、その「指ハブラシ」を見つけて「こりゃすごい商品だ。買おう!」と大いに称えてきていたのでした。

いえ、妻の反対で実際には買いませんでしたが・・(笑)。

それとほぼ同じ発明が、こんな題名を付けられた本に載っているとは、とても妻には言えません・・。

でも、この「指ハブラシ」もそうですが、案外今ならかなり近いものが実用化されているんじゃないか、というものも、いくつかありました。

最近はやりの「ゆるキャラ」もそうですし、「発明」もそうですけど、どれが当たるか、どれが外れるか、なんて、多分神ならぬこの世の誰にも見通すことはできないと思います。

弁理士はもちろんのこと、どんな腕利きのプランナーやデザイナーでもです。

私も仕事柄、それなりに数多くのネーミングやキャラクターやデザインを見ているつもりですが、自分なりに「これはいい」「これはあまり・・」という判断はできますけど、率直に言って、ヒットするかしないかなんて、全然予想がつきません。

すべての未来予想がそうであるように、たとえばそういった知的財産への各事業体の力の入れ方や戦略、国と時代とそこに生きる人々の嗜好や趣味の変化など、ありとあらゆる変数が複雑怪奇に絡まって、ヒットしたり大外れになったりするものだからなんでしょう。

だからこそ、とつくづく思うのですが、私たちの仕事においては、先入観を持って案件に当たることは厳に慎まなくてはいけないと常に戒めています。

その一方で、たとえば業界の重鎮や高名な評論家の言う「これはイケるよ!」「こんなのダメだよ・・」なんていう根拠のない論評は、常に疑ってかからなければいけないと思っています。

ま、私に関して言えば、高名な評論家の根拠なき論評をそう簡単に信じないことは、毎週の競馬の訓練でだいぶ身についてはいますが・・(笑)。



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2014.07.17

手で書く効用

こんにちは。スマイラです。
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昨日の「つけペン」に関連したことを少し書こうと思います。

私は文房具とか筆記具が好きな人間であることはまったく否定しませんが、「手書き」に特別な思い入れや宗教的情熱(笑)を持っているわけではありません。

手書きで書くのは思いや情熱の問題ではなくて、単に好きだからです。

ときどき「指先が第二の脳のように働いて、巧まぬ言い回しが流れ出る。キーボ-ドではこうはいかない。」というようなことを書かれている方もいますが、そんなふうには全然考えていません。

単なる世代の「慣れ」や「習慣」の問題だと思っています。

ディジタルネイティブの世代になれば、手書き云々という議論自体が意味のないものになると思っています。

それはつまり、現代の仕事で「硯をすって筆で書くべきか、墨汁でもいいのか、はたまた万年筆で書くべきか?」なんて誰も考えないのと同じように、です。

そう言いつつも、最近「手書きの効用」のひとつを発見しました。

私は、頭で考えたり悩んだりしているよりも、ちょっとでもいいから体を動かした方が話しが早いと確信している者のひとりです。

たとえば「仕事をどう進めるべきか?」「どこで仕事をするか?」「いつから始めるか?」なんて考えているぐらいなら、どんな小さなことからでもさっさと着手した方が、問題点や改良点もはっきりしてくるし、そうなれば良し悪しは別として、やる気が出てくると確信しています。

最近、もしかしたら「手で書く」という「行動」は、最小単位(ミニマム)の行動として機能しているなということに気がつき始めました。

いつか取り掛かろうと思いつつ、延び延びになってしまっていたことの取っ掛かりの部分だけを、実際のアウトプットとして使えるかどうかは別として、ノートに手で書いていたら、あれよあれよという間に終わってしまった、ということがしばしばありました。

最小行動としての手書きであれば、キーボードでもいいような気もするのですが、そこが「手書き」であることは、やっぱり私の世代の慣れというものなんでしょう。

私の世代では、手で書くことと、頭で考えることが、長年の習慣の中で直結させられているのだろうと思います。

だからすべての世代に共通して言えることではないのかもしれませんが、まあそうですねー、「昭和生まれ世代」の人は試してみてもいいんじゃないかと思います。案外効き目がありますよ。



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2014.07.16

つけペン

こんにちは。スマイラです。

今日の東京もどうしようもないほど暑い一日でした。
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千駄ヶ谷の東京体育館です。

先日、ひょんなことから興味を持ち、つけペンを買ってきました。

「つけペン」という表現が正しいものかどうかも分からないのですが、要するに漫画家とかが使うと思われている、ペン軸とペン先が別々になっていて、ペン先をいろいろ変えられて、書くときにはインクビンにペン先をドブッとつけて書くタイプのペンのことです。

正確に言うと、つけペンがほしかったというよりはカリグラフィ用のペンがほしくて「つけペン」を買いました。ペン先2本セットとペン軸で合計1200円ぐらいだったと思います。

「つけペン」なんて、ローテクの極みで、うっかりインクをつけすぎると滲むし、安定感も今ひとつであることは否定できないのですが、書いてみるとこれはこれでなかなか楽しくて、毎日何かしら書いています。

今の季節は葉書をいただくことが多いので、その返信等は全部つけペンで書いています。

筆記具というと、三菱鉛筆の「ジェットストリーム」をはじめとして、「滑るような書き味競争」が過熱化しており、それぞれの書き味についていろいろレビューされたりしていて、私も大いに参考にしているのですが、それとは別に自分なりの基準を持っています。

それは「自分で好きになれる(あるいはいいと思う)自分の字が書けることが良い筆記具の一番の条件である」というものです。

たとえ何万円もする万年筆であろうと、その万年筆で書いた自分の字を、それを書いた自分が好きになれなければ、自ずと使用する機会は減り、その分愛着も薄れてきてしまうんじゃないかと思うわけです。

これは字の上手い下手の問題だけではありません。その筆記具が手に合うか合わないかによって、同じ自分の字であっても、好き嫌いが出てしまうことが経験的にあります。私にはそういう筆記具が手元に何本もあります(笑)。

私の場合、自分が気に入る字が書ける筆記具とそうじゃないものは案外はっきりしています。

いわゆる「滑るような書き味」のペンで書く自分の字はあまり好きではありません。

元々私は字を書くのが速いらしく(字を書くスピードなんてそれまで意識したことがありませんでしたが、弁理士試験の論文の勉強過程で、人と比べるとかなり早いということを知りました(笑))、滑らかな書き味のペンで書いた自分の字は、ところどころ線が行き過ぎていたりして、ひどく軽薄に見えてしまいます。

どちらかというと、ちょっと引っ掛かり気味なぐらいのペンで書いた自分の字の方が、コントロールされているせいか、下手なりに納得がいく字であるように自分では思っています。

私は、試験勉強期間中も何とか飽きが来ないように、意識的にちょくちょく筆記具や勉強道具や場所や方法を変えたりしていましたが、新しい筆記具や文房具は、数百円から数千円程度で気持ちをリフレッシュできる比較的安いカンフルではないかと思います。

まあ、単に「新しいものを買いたいときの言い訳!」といわれそうですが・・(笑)。



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2014.07.15

謝る理由は何もない! その4 完

こんにちは。スマイラです。

昨日は保育園建設に対して騒音を理由に反対する人について、自分たちもかつて負担してきてもらった社会のコストあるいは未来への投資として、諒とされないだろうか、との見解を書きましたが、その続きです。

このような反対運動があった後では、もし無事に保育園ができたとしても、そこに通わせる親御さんたちは、周囲に住む人たちに対して、謝罪せざるを得ないような気持ちを日々抱かせられないでしょうか?

それだけならばまだしも、反対運動とはまったく関係のない保育園や幼稚園に現在、あるいは将来通わせる親御さんたちは、自分たちもこんな風に周りの人たちから見られているのかなあ・・、と思わせられないでしょうか?

そして、そういった親御さんの心許ない気持ちは、一緒にいる幼児にそこはかとなく伝わって、子どもたちは無意識のうちに「自分たちは社会や他人に受け入れられにくい存在」という自覚を、早い時期に持たせられることになりはしないでしょうか?

時折、新聞やニュースなどで、日本の子供たちが、諸外国の子どもたちと比べて「自尊心が低く」「将来に希望がなく」「自分のことを好きではなく」「自分に自信がない」というような調査結果を見ることがあります。

そりゃそうでしょう、と思いますよ。

保育園や幼稚園=自分たちを、騒音源とみなす社会に生まれ、そこで成長し、ことあるごとに足を引っ張る存在として邪魔者扱いされてきた子どもたちが、いったい人生のどのような過程で、いつ、自分に自信を持つことができるのでしょう?

だから、と私は思います。

過去の私も含めて、そして、ウチの階下のお母さんも含めて、そして、今、さらに将来子育てをする人たちすべて、少なくとも子どもがいて、そして育てていて、あるいは連れているというだけで(あまりにも常識はずれの行動をしているのなら話は別ですが)、周りの人たちに謝ったり、恐縮したり、申し訳なく思う理由なんてどこにもありませんよ。

むしろ、胸を張って「この子たちが未来の日本を、将来のあなた(これは周りにいる人のことね)を支えていくんですよ!」という気概で、堂々としていたらいいんだと思います。

私が書籍や、その他諸々から情報を入手する限りにおいて、日本人はさして自分のことで手一杯で他のことには手が回らない、というほど余裕がないわけではないにもかかわらず、本質的に他人、特に弱き者、小さき者、拙き者に対する優しさや心のゆとりは少ない人が多いと認識しています。

まずはここら辺の精神性を改めない限り、当たり前のことですが、少子化なんて解決しないと思いますし、それ以上に子どもたちが自分に誇りや自信を持つとか、生き生きと生きるなんてことはとても実現しないのではないかと思ってしまいます。



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2014.07.14

謝る理由は何もない! その3

こんにちは。スマイラです。

今日の東京も「これが今年の暑さのピークか?」と思うほどの炎暑でした。大雨も困りますけど、少し降って地面の熱と湿度を下げてくれないことには、こっちの熱が上がってしまいそうです。皆さまもくれぐれも熱中症等にはお気をつけ下さい。

さて、昨日の続きです。

保育園が騒音源になるので近くに作らないでほしいという運動が起こっているらしい、ということまで書きました。

それぞれの人にそれぞれの事情があることでしょうから、総論的にこのこと自体の是非を論じるのは大変難しいと思うのですが、私はあえて「ここは未来への投資として負担しようじゃないですか」といいたいと思います。

私は20代の頃、かなり大きな救急病院の近くに住んでいたことがあります。

そこに引っ越すと決めたときには、まったく予想もしていなかったのですが、あの規模の救急病院になると、深夜でもひっきりなしに救急患者が救急車で運ばれてきます。

当然救急車ですから、休日の朝であろうと、平日の深夜であろうと、サイレンを大音量で鳴らして病院に駆け込むわけです。

そこで「サイレンがうるさいから病院は人里離れた山の中にでも行ってくれないか」といえば、救われたかもしれない命も救われないという悲劇が怒ることは必定です。

救急車のサイレンで夜中に起こされる人は、救急患者ではありません。しかし、いつかは自分や自分の家族も運ばれる立場になるかも知れません。

それに、それ以外の人たちだって、救急病院ではないけれども、何らかの社会的コストの一分を負担しているというコンセンサスがあるからこそ、社会は成立しているのだと思います。

保育園に関していえば、今苦情をぶつけていたり、保育園建設反対を強硬に主張している人たちであっても、もうすっかり忘れてしまっているのかもしれませんが、子どものころには、今や彼ら彼女らが毛嫌いする騒音の発生源であったことは否定しても否定しきれない事実です。

不幸にして中年や高齢者にならない人はあっても、赤ちゃんや幼児じゃなかった大人は一人もいませんからね。

そして、その人たちが今大人として存在しているということは、「騒音源」であった自分たちを暖かく見守り、成長を待ち望んでくれている人々と社会があったからこそです。

自分たちのときに社会に負担してきてもらったコストを、今度は自分が負担できるようになったのだからその一分でも負担しよう、というようには考えられないものでしょうか?

もうちょっと書きたいことがあるので、この続きは明日書きます。



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2014.07.13

謝る理由は何もない! その2

こんにちは。スマイラです。

「続きは明日」と書いておきながら、ちょっとバタバタしていて日が空いてしまいましたが、続きを書きます。

私もちょっと前まで子育てをしていた組なので(いえ、子育て自体はまだ継続中なのですが、3人とも幼児期は終わったので)、このお母さんの恐縮する気持ちもすごくよく分かります。

私自身も子どもを連れて出歩いていた時分は、電車に乗るとき、バスに乗るとき、道を歩くとき、ベビーカーで横断歩道を渡るとき、後ろに早足の大人の圧力を感じるとき。口には出しませんが、いつも心の中では「すみません」と謝っていました。

でも、今振り返ってみれば、そりゃ多少の迷惑はかけていたかもしれませんが、迷惑をかけているのは子育てをしている人たちだけではなくて、もっと大迷惑をかけている人たちもいるし、別に悪いことをしていたわけでもないのだから、自分だけ申し訳なく思う必要なんて全然なかったのだと思います。

でもなぜか、この国で子育てをしている多くの人が、誰にともなく申し訳なく思ってしまう。悪いことをしているわけでもないのに謝罪をさせられるような気持ちになってしまう。

なぜなんでしょう?

私が思うに、それは余りにも長きに渡り、余りにも多くの人が、たとえば効率性、たとえば経済性、たとえば自分だけの快適性を優先するあまりに、社会を共に構成している幼き存在や拙き存在を邪魔者扱いし、自分たちから遠ざけ、あるいは見ないようにし、あるいは排除しようとしてきたこと、つまり、子育てする側から見ると自分たちは遠ざけられ、無視され、排除される存在であると感じ続けさせられてきたことが最大の原因だと思っています。

ちょっと話しが逸れますが、「効率『性』」「経済『性』」「快適『性』」と表現したのは、このような行動とその原理は、必ずしも社会や人間の「効率」や「経済」や「快適」に直接に貢献しているはずがないからです。なぜなら、社会も人間も、このような幼き者や拙き者やそれを産み育む者も包含したところに成立し存在するものですから、ここを無視あるいは敵視した効率性等は少なくとも論理的にこれらの存在には貢献しえないからです。

さて、こういった排除の構図のひとつの象徴は、「騒音がうるさいから保育園を近くに作るな」という反対運動に如実に顕れているように思われます。

たしかに経験上、幼い子どもたちのパワーたるや「無限か?」と思わせるほど溢れ返っていますから、近くに保育園ができたら、その送り迎え等も含めて相応の騒音が発生することは十分予想されます。

長くなったので、この続きはまた明日(笑)書きます。



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2014.07.10

謝る理由は何もない! その1

こんにちは。スマイラです。
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今日、自宅マンションのエレベーターで、偶然ウチの階下の人と一緒になりました。

お母さんと抱っこされた赤ちゃんと手をつないだ小さなお子さんです。

私よりずっとお若いので、「お母さん」なんていうと怒られてしまいそうですが(笑)、まあ、ここは家族の中での役割で「お母さん」と呼ばせていただきます。「奥さん」というのもナンですし・・(笑)。

お母さんは私の顔を覚えていてくれたみたいで、エレベーターの私の階のボタンを押してくれました。そしてこう言いました。
「いつも騒がしくてご迷惑をかけて申し訳ございません。子どもたちの声、うるさくないですか?」

私の住んでいるマンションは日ごろ意識することはほとんどありませんが、それを意識しないほどに防音がかなりきちんとしているようで、隣の部屋や、階の上下の音が聞こえてくることはほとんどというかまったくと言っていいほどありません。

ですから「いえ、全然うるさくないですよ。気にしないで下さい。ちょっと前までウチもそうだったんですから(笑)。むしろ今じゃあウチの方が体が大きい分だけうるさくないですか?」と返事をしました。

そのお母さんは「そんなことないですよ」とおっしゃって、しきりに恐縮していましたが、私はつくづく思いました。

「この国ってダメじゃん・・。」

長くなりそうなので、続きは明日書きます。



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2014.07.09

これがW杯・・

こんにちは。スマイラです。

今朝のブラジル対ドイツの試合、見られた方も多いかと思いますが、本当に驚きました。

私はちょっと寝坊してしまって、試合開始からしばらくしてからテレビをつけたのですが、その時点で5対0でした。

まさかこれがブラジル対ドイツの試合の得点とは思いませんでした!

シュート本数かな?と思ってみていましたが、数分のうちにこれが今の「現実の」点差なのだとようよう理解しました。

しかしまあ、どっちが勝ってもおかしくないとは思っていましたが、まさかブラジルが7点も取られるとは・・。

ブラジルも、王国の意地、開催国の意地で、最後の最後にドイツに一矢報いましたが、時すでに遅すぎましたね。

ネイマールの抜けた穴は想像以上に大きく、余人を以て代え難かったということだったのでしょうか・・?

競馬をやってると年中のことですっかり慣れっこになってしまっているのですが(まあ、それも考えものですけど(笑))、スポーツ全般については、それがどれほど見識のある人のものであったとしても、予想なんて本当に当てにならないものです(いえ、実際はどんなに見識のある人の意見であっても、スポーツ以外のいかなる未来予想も本質的に信じるに足りないものです)。

実は、私の手元には2002年のW杯日韓大会のムックがあります。

その中にサッカー評論家や選手や今はJリーグの監督になっている人などの予想が載っています。

ほとんどの人が優勝は「アルゼンチン」と予想しています(実際はブラジル優勝、ドイツ準優勝)。

こういう予想外のことは、スポーツ、特に団体スポーツではあって当たり前、ないのが不思議ぐらいに思っておいた方がいいのだと思います。

今朝の試合は、ブラジルファンの方にとっては残念至極でしょうが、こういう意外性さえも楽しんでしまうというのも、W杯をはじめとするスポーツ観戦の楽しみ方のひとつなのかもしれません。



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2014.07.07

号泣する準備はできていた

こんにちは。スマイラです。

今や日本一の有名人になったのではないかと思いますが、兵庫県議の野々村議員が大変な話題になっていますね。

まあ、あそこまでやれば話題にならない方がおかしいって感じですが、いつ見てもホントに笑える映像ですよねー。

私はテレビをつけると突如として顕れるあの映像と大音声に、何回大笑いさせてもらったか、もう数えられません。

都議のヤジといい、県議の号泣といい、どうもここら辺の地方議員というのは、マスコミも国会議員ほどに多くを伝えませんし、なまじっか国民というか都民というか県民というか、の目が行き届かないところにいるせいか、何だかとんでもない人たちの巣窟になっているような気がしてきました(笑)。

まあ、一言でいってしまえば、ヤジさんも号泣さんも、恐ろしく精神が幼稚で未熟ですよね。

成熟ってのは、簡単に言えば、縦横に時間と空間の想像力が広がることがその一面ではないかと思いますが、この人たちは半世紀前後も生きているにもかかわらず、その場しのぎというか、今のこの場だけ何とか終わればいい、という甘っちょろい了見が見え見えで、いい歳をして世界観の広がりのないことには、ただただ驚くばかりです・・。

民主主義の恐ろしいところは、あんなひと目見て「おかしいんじゃない?」と思わせるような議員であっても、ちゃんと一定数の都民なり県民なりの得票を得たからこそ、その地位にいるってことですよね。

さらに言えば、なんだかんだ批判したり文句言ったりしたところで、彼らの懐には私たち都民や県民の税金が定期的にきっちりと振り込まれているってことですよねー。

しかしまあ、私が思うに、あの号泣会見で一番割を食ったのはお笑い芸人じゃないですかね?あんな笑いを取れる号泣芸をぽっと出の素人にやられてしまっては、プロのお笑い芸人は形無しですよ(笑)。

まあ、号泣さんの所業はこれから詳らかになっていくでしょうが(それとも「産んでみろヤジ」のように、うやむやで終わってしまうかな・・?)、今の私にとっては、ちょっと気持ちが沈むようなときでも、「このぉーー・・世の中をぉーー・・、うわあぁーーー!!」という映像を思い出すだけで一瞬のうちに笑えて、楽しい気持ちにさせてもらえる、ある意味リーズナブルな気分転換になっています(笑)。



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2014.07.05

ヤジのフシギ その4

こんにちは。スマイラです。

今日の東京多摩地域も、降ったり止んだりのはっきりしない梅雨空でした。

さて、ヤジ事件の続きです。

こういう事件が起こると、諸外国はどうか知りませんが、日本ではほぼ確実に被害者側を叩く勢力が現われます。いわく「いじめられる側にも原因がある」「殺された人にも理由があった」「ヤジを言われた人はこんな(不埒な)ことを言っていた(あるいは、していた)」といったような類です。

そこに何らかの意図や意思を感じない人はいないんじゃないかと思いますが、まあまあそういうことです(笑)。

今回もヤジを言われた側の塩村議員が、過去のテレビ番組やインタビューで答えたことをあげつらわれているみたいです。

でも、その真偽なり、彼女の発言なり、考え方なりに何らかの問題があったとしても、彼女が今回議場であのようなことを言われる理由にはひとつもならないことは、火をみるより明らかです。

まして、結婚もしてないとか、子どももいないのに「少子化対策」について意見するとは、といった物言いには、怒りとその頭の悪さ加減に憐れみさえ感じます。

そんなこと言ってたら、二世、三世だらけの議員の集まりで、貧困対策や失業対策なんて誰も議論できませんよ(笑)。

それとももしそこまで覚悟が固まっているんなら、と思います。

失業対策を意見する議員には今すぐ失業してもらいましょう、貧困対策を意見する議員には今すぐ全財産をどこかに寄付して一文無しになってもらいましょう、拉致対策を意見する議員には拉致されて酷い目に遭ってもらいましょう。

そういう個人的経験の有無ではなくて、都議会ならば何千人なり何万人なりの都民の代表として仕事をしているのですから、その都民の意見を汲み上げ、都民に代わって伝え、政策を作っていくのが仕事じゃないですか。

要は都民の苦しみや悩みや声に耳を傾け、寄り添える能力の方が、単なる個人的な経験の有無よりずっと大事なんだと思いますよ。

議論したい政策のひとつひとつを経験してから物を言えなんていってたら、どんな議員だって1000年生きても足りませんよ。

私にも子供がいるので、たとえば子育てを経験している人とそうでない人とでは、考え方に差が出るだろうということは想像がつきます。そんなこと当たり前のことです。

だからと言って、経験している人の方が、していない人よりも必ずいい意見が出るとも言えないのが、この世の面白いところで、未経験の人や門外漢の方が常識にとらわれない分だけ結構いいアイデアを出すなんてことよくあるじゃないですか?

それはそれとして、こんな風に、被害者側をさらに痛めつける意地悪な言動は、どうやったってできないことや、解決不可能なことを吹っかけてくるのが大きな特徴です。

それが日本の、特に既得権益に包まれたカミソリおじさんたちの必殺技だったのか・・と思うと、私はなんだか哀しくも憐れなりという感慨を抱いてしまうのでございますよ。

最後にひと言。
明日は弁理士試験の論文試験があります。受験されるみなさんがこれまで身につけた力のすべてを発揮できることを、心から祈っています。あと少しです。がんばって!



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2014.07.04

ヤジのフシギ その3

こんにちは。スマイラです。

東京多摩地域はどうにもはっきりしない、まさに「梅雨らしい」天気が続いています。

テレビニュースで九州の大雨を見ましたが、ここ最近の自然災害は、こんな表現が適切かどうか分かりませんが「ニッポンばなれ」してます。

くれぐれも油断せずに気をつけていたいものです。

さて、ヤジのフシギの続きです。

スポーツ観戦ではヤジがよく飛ぶせいか、都議会のヤジをスポーツのヤジと(無論、意図的にでしょうが)、混同させて書いたり言ったりしている人がいます。

スポーツというよりギャンブルと認識されているかもしれませんが(笑)、私の好きな競馬でも、ヤジはしばしば飛びます。

でも、スポーツのヤジと議会のヤジは、あえて私が言うまでもなく全然違いますよ。

スポーツは原則として「見る」ものですけど、議会は、もちろん全く見ないわけではないでしょうが、原則耳で声を「聞く」もんじゃないですか?

だから、スポーツ観戦ではヤジ=声=音で遮ったところで、肝心要の「観」戦に差し支えはありませんが、議会ではヤジ=音で遮られたら、質問自体が聞こえなくなってしまいます。

これって、スポーツ観戦に置き換えれば、後ろから手を出して目隠しをするようなもんですよね?

そして、もっと大きな違いは、スポーツ観戦におけるヤジの多くは、サッカーも野球も、そして競馬も含めて、全部応援と愛情の裏返しです。

日本ハムにせよ、清水エスパルスにせよ、サッカー日本代表にせよ、キズナ+武豊にせよ、愛情を持って応援しているからこそ、その思うようにならない姿を見たときにヤジのひとつも出てしまうってもんです(私自身はしませんが)。

しかるに、今回の都議会のヤジには応援とか愛情なんてどこにも感じられないですもんね。

ただひたすら、相手の、思うようにならない、あるいは選択した人生の状況を、公衆の面前に暴露して恥をかかせてやろう、嫌な思いをさせてやろう、という強くて、そして底意地の悪い意気込みしか感じられません。

そういうのって、人々は気がつかないような振りをしながら、案外敏感に感じるものだから、首都とはいえ、東京という一地方公共団体にすぎない議会での、気ままな暴言がこれだけ話題になってしまったんでしょう。

「子どもを産めないのか」とか「子どももいないのに少子化対策とは笑止」とヤジを飛ばしたり言ったりしている人たちは、これは決して私がそう思っているからではなくて、それがいかに酷い言葉かを拡大して伝えるためにあえて書きますが、その気持ちに嘘偽りがなく、まずは政治家からと本心から思っているのなら、まずこういった言葉を、日本のリーダーと自認する自民党総裁の安倍総理ご夫妻に献上してはいかがでしょう?

言えないくせに。

人を見て、「この野党の若い女性なら大丈夫」と選んで言っていることを芯まで見抜かれているから、多くの人の反感を買い、卑劣呼ばわりされるんですよ。



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2014.07.02

ヤジのフシギ その2

こんにちは。スマイラです。

今日は最近には珍しく一日天気がもちました。といっても雨が降らなかったというだけで、ほぼ曇り空で蒸し暑い一日でしたが。

さて、昨日の続きです。

この「事件」が起こってから、政治家や政治家OBや政治評論家など、いわゆるその筋の人たちからは「いいヤジ」「悪いヤジ」という言葉がよく聞かれるようになりました。

いわく「今回の都議会での不規則発言は人格否定や人権侵害といった類の論外のものだが、いいヤジもある」という主張です。

「いいヤジ」とはどういうものかつぶさに聞いてみると「議論を活性化させる」「相手の隠そうとしている本音をうまく引き出す」「笑いが起こって議場が和やかになる」といった程度のことに集約されるみたいです。

いちおう建前としては議員の皆さんはいくばくかの信任票をいただき、その信任の上でその場に身を置いている「職業政治家」なのですから、ヤジがなければ、議論が活性化されなかったり、本音を引き出せなかったり、和やかな雰囲気にできないようでは、別の意味でも困ってしまうのですけど、話しが逸れないようにここではその点は置いて、ヤジにそういう効果があるのだとしてしまいましょう。

だとしたら、なぜ民間企業の会議や、国際会議や、他国との交渉の場で、この霊験あらたかな「いいヤジ」はバンバンと飛び交わないんでしょう?

それに、そんな効果が「いいヤジ」にあるのなら、子どもたちが大人になったときに、議論を活性化させたり、本音をうまく引き出したり、和やかな雰囲気にできる、立派な大人になれるように「いいヤジの飛ばし方」を学校教育の過程で教えないんでしょう?

子どもたちには日々「人の話は黙って最後まで聞け」と教えているのに、運動会やちょっとした学校行事になるとちょこっと地域の学校にやってきて「来賓」として偉そうに話をしているおじさんたちが、本当の仕事場では、他人がしゃべっているときに口汚なく罵っていると知ったら、さぞ大人を信用できなくなることでしょう。

というか、日本はもうそういう状態になっているのですけどね(笑)。

「いいヤジ」だろうが「悪いヤジ」だろうが、人が話しているのを声で遮る行為であることに違いはありません。そして、どんな人だって、話しているときに遮られれば嫌なものですし、聞いている人にも不愉快な思いをさせます。

「いいヤジ」なんてつまらない表現で、誰もが嫌がることを、あたかも「価値のある特殊技術」であるかのように見せかける「言い換え」は、自己保身のために分かって言っているだけに卑しいものです。



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2014.07.01

ヤジのフシギ その1

こんにちは。スマイラです。

東京都議会での塩村都議へのいわゆる「セクハラヤジ」が問題になっていますが、いろいろなところで話しが出すぎていて、何がなんだかよく分からなくなってきているような気がします。

セクハラについて言えば、今回のヤジは男性が女性に浴びせたものだからあえてそう言われているような気がします。

「早く結婚しろ」とか「子どもを産めないのか」というヤジは、たとえ男性が男性に、あるいは女性が男性に言っていたとしても、品も礼もない卑劣なヤジだったと思いますし、大の大人の生き方にまで干渉している「大きなお世話」ですし、言われた人がどんな立場であれ、傷つけられる言葉であることは論を待ちません。

ですから、その点に関しては今回は置いておこうと思います。

私がどうにもよく分からないのが「いいヤジ」と「悪いヤジ」があるかのように論じられたり、語られたりすることです。

それと同様に解せないのは、スポーツ観戦中のヤジと一緒くたにして論じられたり、語られたりすることです。

さらに解せないのは、なぜかヤジを浴びせられた方が悪いかのような論じ方をされる意見があることです。

もうひとつ書くと、選挙期間中は「皆さんの代表として・・」なんて大層なことを言っている人たちがしたことなのに、ヤジを言った都議がちょろっと謝罪したことによって、問題がなぜか思いっきり矮小化されてしまったように思われることです。

こんな疑問について、明日から順番に書いていこうと思います。

そんなわけで、今日はここまでで止めておきます。
続きはまた明日・・。



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